“もうひとつの祖国”を生きる──朝鮮総連系在日コリアンの実像と問い

朴香樹 一般社団法人 Free2move 共同代表
私は神戸出身の在日韓国人三世で、現在は長年にわたって韓国で暮らしています。結婚を機に韓国に移り住んでから25年が経ち、気がつけば日本と韓国、それぞれの国で過ごした年月が、おおよそ半々になりました。
私は幼稚園から高校卒業まで、日本の朝鮮学校で学びました。両親も同じく朝鮮学校の卒業生で、私が幼い頃、父は朝鮮総連傘下の信用金庫に勤めていました。
そのため、家族ぐるみの付き合いもいわゆる「総連側」の人たちがほとんどで、「民団側」の人々と接点を持つことは、ほぼありませんでした 生まれてくる家庭環境は自分で選べないものです。幼い頃の私は、自分が置かれた環境に対して疑問も不満も抱かずに育ちました。
北朝鮮を「祖国」と教える朝鮮学校での特殊な教育の影響もあって、日本社会に対する距離感や、日本人の友達がいないという現実にストレスを感じることもありませんでした。

2019年9月に放送された、日本国内の朝鮮学校の過去と現在を描いたドキュメンタリー『サイサ―虹の奇跡』の一場面 / DMZ国際ドキュメンタリー映画祭
「自分たちは日本人ではない」というマイノリティとしての強い自己認識があったため、総連コミュニティと「外の世界」である日本社会との間にある埋めがたい乖離も、割り切って受け入れることに慣れていたのだと思います そんな中、10代後半から大学生活や社会人生活を経験する中で、さまざまな葛藤を乗り越え、20代半ばには朝鮮籍から韓国籍へ切り替える決断をしました。
韓国籍を取得した直後には、長年の夢だった韓国留学を実現し、数年後には韓国人男性と家庭を築くことになりました。
韓国で暮らし始めた最初の数年間、私は自分の過去について夫以外の誰にも話さず、「在日僑胞」あるいは「日本人」として認識されながら生活していました。
自分の背景を説明するにはあまりにも長い説明が必要でしたし、周囲の韓国人の友人たちも「在日」の複雑な歴史や背景には興味も知識もなく、ましてや「総連」「民団」「朝鮮学校」といった存在を知っている人も周囲の友人にはほとんどいませんでした。
そのため、必死に自分のバックグラウンドを説明してまで理解してもらう必要性を感じることもありませんでした。
時折、朝鮮総連や朝鮮学校についてある程度知識のある韓国の方から、「何がきっかけで、いつ頃“転向”されたんですか?」といった質問を受けることがありますが、正直なところ、この種の問いには辟易してしまいます。
韓国語で「転向」とは、政治的な思想を変えること、特に左派から右派への転向を意味します。つまり、彼らの頭の中では「北朝鮮を支持する左寄りの“アカ”から“転向”した人間が、朝鮮籍を捨てて韓国籍を選び、今は韓国で暮らしている」という単純な図式が、当然のようにでき上がっているようでした。
この「転向」という言葉には強い違和感を覚えますが、その違和感を理解してもらうには、私自身の生い立ちや背景を一から説明しなければならず、つい苦笑いでやり過ごしてしまうのが現実です。
とにかく、韓国での生活に慣れるにつれて、かつて自分が身を置いていた環境が、いかに特殊なものだったかを改めて何度も実感するようになりました。あの独特な共同体の中で感じていた絆や安心感は、一体何だったのでしょうか。
北朝鮮を「祖国」と呼び、首領様の肖像画の前で忠誠を誓っていたあの感情は、今もなお一部の幹部の心の中に残っているのでしょうか。脱北者たちがこれほど声を上げ、北朝鮮の実態が明らかになりつつある今でも、なぜ朝鮮学校に通う子どもたちを平壌での「迎春公演」に送り出す親たちがいるのでしょうか。
私自身、こうした疑問や葛藤、腹ただしさを今も抱え続けていますが、在日の歴史をよく知らない韓国の人々が、朝鮮総連の支持者を一様に「頭のおかしい人たち」と罵る姿を見ると、正直、少し複雑な心境になります。
というのも、朝鮮総連とその支持者たちは、戦後日本における在日コリアンの歴史、分断された朝鮮半島の政治情勢、そして日本社会からの差別や排除といった複雑な要因が絡み合って形成された存在だからです。特に、在日一世・二世が日本社会で味わった苦悩や疎外感は、総連という組織の成長や支え合いの仕組みの中に反映されてきたとも言えるでしょう。
さらに、1959年に始まった「帰国事業」(韓国では「北送事業」と呼ばれます)によって、実に93,340人もの在日コリアンが北朝鮮へと渡りました。
私の家族を含め、多くの人々がその後も長きにわたり北に残された親族を支え続けてきました。このような、望んで結ばれたわけではないものの、切っても切り離せない関係性が、北朝鮮と在日コリアンの間、さらには日本社会との間に複雑に存在していたのです。こうした歴史的背景は、つい最近まで韓国社会ではほとんど知られていませんでした。
朝鮮総連を支持する在日コミュニティは、現在ではその組織としての力を大きく失いつつありますが、それでもなお、日本社会の中には「小さな北朝鮮」とも言える空間が、確かに存在し続けています。
また、朝鮮学校の生徒数は年々減少していますが、いまだに一部の教育内容には、4世・5世といった次世代の在日コリアンの子どもたちを混乱させかねない要素が含まれています。そのような問題に、私たちはこれからどのように向き合っていくべきなのか…。
私は、昨年日本で立ち上げたNGO団体・一般社団法人Free2moveの共同代表として、その問いに向き合い続けています。
この団体には、元・朝鮮総連の職員をはじめ、弁護士、大学教授、ジャーナリストといった多様な専門性を持つ人々が集まっています。在日コリアン、日本人、脱北民、韓国人、海外僑胞など、背景や国籍もさまざまです。私たちは、北朝鮮の人権問題の改善を目指し、海外のNGOとも連携しながら、立場や国境を越えて協力と発信を続けています。
このような活動が、朝鮮総連に関わる人々や、今もなお北朝鮮の現実に目を向けようとしない人たちの心に、いつか届くことを願っています。頑なに変わらなかった人々の考えを動かすのは、怒りや叫び、裁きや批判ではなく、小さな問いかけと、一人の人間としての共感によって心を揺さぶり、より良い未来の姿を忍耐強く示すことなのかもしれません。
過去を否定するのでも、美化するのでもなく、ただ真正面から見つめ直し、そこにある過ちや反省すべき点と向き合うこと。その中で見えてくる痛みと希望の両方を、次の世代へどう伝えていくのか――それが、今を生きる私たちに課された責任なのだと思います。
そしていつの日か、対立や無関心ではなく、小さな共感と対話を通じて、この複雑な歴史の先により良い未来を築いていけると信じています。
過去の選択や信念を、現在の価値観だけで裁くのはたやすいことです。けれども、その背後には、時代背景や環境、そして切実な事情が幾重にも折り重なっていたことを、私たちは決して忘れてはならないと思います。
分断された歴史の中で揺れ動いてきた人々の思いに目を向けながら、伝えるべきメッセージを発信し続けること――そこから、未来の対話と希望が生まれるのではないでしょうか。
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